熊谷南ロータリークラブ
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千年桜の植樹
ムサシトミヨの保護活動
青少年国際交流支援活動
海外2クラブと姉妹クラブ締結
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留学生達の帰国報告書
留学の体験をされた皆さんが、留学先での体験や思い出をつづった報告書です。
並木さん 狩野さん 佐川さん
関口さん ディオンヌさん アシュリーさん
ゾ・ミン・リンさん 棚澤さん ローズさん
氏名       : 佐川さん
高校        : 私立女子聖学院高等学校
スポンサークラブ  : 熊谷南ロータリークラブ
カウンンセラー   : 李 一孝
派遣国       : アメリカ セントラル ステーツ
ホストクラブ    : D6290
留学期間      : 2002〜2003


  皆さんこんにちは。私はアメリカ、ミシガン州のEIK Rapidsという町に1年間ステイしました。EIK Rapidsは北ミシガンにある、人口3000人の小さな町です。最初、人工3000人の町に行くと聞いた時うわっ、と思いましたが、行ってみると美しい湖や砂丘がある、すばらしい場所でした。冬は氷点下20度まで下がるすごく寒い場所だったのですが、夏はビーチに出かけたり砂丘に登ったりして、日本ではできないような体験をたくさんしました。  私はアメリカで、3つのホストファミリーにお世話になりました。一番初めのホストファミリーには1月までお世話になるはずだったのですが、その家族とはどうしてもうまくいかず、1ヶ月でほかのホストに移動することになりました。二番目のホストファミリーには同世代のホストブラザー、ホストシスターが4人もいました。また、この家族は去年フランスからの留学生を受け入れていたので、留学生の扱いになれていたようで、私のほうもくすぐに溶け込むことができました。なかでも私と同じ年のホストブラザーのネイトにはとてもお世話になりました。私が落ち込んでいると、言葉にしなくてもすぐ気がついて力になってくれ、本当に感謝しています。三番目のホストファミリーには六ヶ月間お世話になりました。ホストシスターのジェニールは日本に去年留学していたので、彼女が日本にいるときから電話をしたり、メールのやりとりをしたりしていました。彼女とは1年を通じてずっといい友達でした。

 さて、学校では私は最高学年のseniorに入りました。私の学校には合計7人の留学生がおり、全員英語が万能でした。最初は彼らと自分の英語力を比べて落ち込んだりしていましたが、逆に悔しさがバネになり、がんばった結果、数ヶ月すると彼らとの間にほとんど差を感じることはなくなりました。私がむこうにいる間に思ったことは、自分の気持ち次第でどんなことでもなるようになる、ということです。英語がしゃべれない、というのはアメリカでの生活において致命的です。だから私は最初の3ヶ月、英語を身につけようと必死でした。授業もためになる、リベラルアーツの授業をなるべつ沢山とるようにしました。最初は授業についていくのが大変で、毎日夜中まで、宿題のほかに予習、復習をしていました。そんな時、違う学校の留学生と遊んだりして話を聞くと、なんで私ばっかりこんな苦労をしているんだろう?と疑問に思ってしまうこともありましたが、結果的にはよかったと思います。あの時期なしでは、英語力の向上は考えられませんでした。成績優秀者に選ばれたときは本当にうれしかったです。

 私が通っていた高校は全校生徒が500人弱の小さな学校でした。そのうち、メキシコ人が1割、アフリカンアメリカンんはなんと3人しかいませんでした。アジア系の人もほとんど見かけませんでした。ほとんどがヨーロピアンだったせいか、人種差別的な、心ない言葉をなげつけられ、傷ついたことも何度もあります。何度も、私はこんな思いをするためにアメリカに来たんじゃないのに、、、と思いました。日本人というだけで差別されるなんて、思ってもいなかったのです。しかし、そんな人はごく一部で、行ってしばらくするとたくさんの友達ができました。将来のことについて話したり、悩みごとを相談できるような友達も数人できました。彼らとは一生友達でいたいです。

 アメリカにはたくさんの学校行事があります。学校行事といっても堅苦しさはなく、ただ楽しいだけのものばかりです。
 その中で、一番印象的だったのはやはりプロムです。私はプロムのシーンを映画で何回か観たことがあり、アメリカに行く前からこの行事を楽しみにしていました。私の学校はホテルで行われたのですが、いつもはTシャツにジーパンの友達がドレスアップしているのをみるのはとても楽しかったです。日本にはない、アメリカ特有の行事なので、参加できていい思い出になったと思います。そのほか、ホームカミングやハロウィンの仮装舞踏会など、アメリカの学校行事はどれも楽しかったです。そういえばアメリカではハロウィンの夜、子供が仮装して近所の家にお菓子2おも4くぃに行きました。が、まわりの子はみんな小中学生で、少し恥ずかしい思いをしました。お菓子をもらいに行った家の人に、あなたたちもう運転できる年齢よね?と笑われたのもいい思い出です。

 アメリカの学校では、最高学年のseniorだけが参加できる行事もたくさんあります。そのひとつがSenior skip dayです。その日だけseniorは学校に来なくていいのですが、私と私の友達は、”今日はSenior skip day!学校なし!超たのし〜”といったようなことをかいたTシャツを作ってそれを着て、わざわざ学校に行って廊下を歩きまわったり、授業をやっている教室に乱入したりして下級生たちをうらやましがらせました。その後、車で40分ほどのところにある砂丘に行きました。そこで友達と相撲をして投げ飛ばされ、なんとカメラを壊してしまいました。Senior skip dayの1週間後は卒業式でした。卒業式中に学年全員の赤ちゃんの頃の写真をスライドで見せる、というコーナーがあり、大変盛り上がりました。お葬式のような日本の卒業式とは大違いです。

 私は1年間アメリカですごして、数え切れないことを学びました。アメリカ人の陽気な性格が無神経さに感じられたり、アメリカ至上主義に閉口したこともありました。多民族国家といいながら、人種の多様性に対して閉鎖的なところを垣間見たりして、アメリカという国に失望したことも何度かあります。しかし、それ以上にアメリカ人の前向きさ、小さいことにこだわらないおおらかさに救われたことも数限りなくあります。日本にいるだけでは知ることができない、本当のアメリカをわずかですが体験することが出来たと思います。また、海外から日本をみる、というのはとても興味深いものでした。日本がハイテクノロジーで知られている成果どうかはわからないのですが、日本人は数学や理科が得意だと思われているようで、いわゆる数学オリンピックや科学オリンピックに出てみないか、と何回か誘われたりしました。

 あと、アメリカに行ってから本当に、笑顔と感謝の気持ちを忘れてはいけないというのを実感しました。私がホストファミリーを一ヶ月で移ることで多大な迷惑をおかけしたにもかかわらず、いやな顔一つしないでとても親切にしてくださった日本、アメリカ、両国のロータリアンの方には感謝の言葉もありません。そして、なんどきても私を励まし、勇気づけてくれた家族の支えなしでは私は留学をまっとうすることはできませんでした。日本にいるときは自分は他人の人に支えられて生きているんだ、というのを実感することはほとんどありませんでしたが、今、すべてに感謝することができます。いつも笑顔でいることは、防御でもありました。嫌なことがあっても人に弱みを見せるのには抵抗があったのです。だから、学校ではいつも笑顔でいました。へらへらしている、場かな日本人、と思われていてもいいとも思っていましたが、卒業アルバムでの寄せ書きで、あまり話したことがない人が、雅美がほほえんでいないところ、笑っていあにところをみたことがないよ。ずっとそのままでいてね。と書いてくれた人がいました。それを見たときは本当に感動しました。

 1年間、楽しいこと、悲しいこと、腹が立ったこと、いろんなことがありました。しかし、思い出すのは楽しかったことばかりです。アメリカに行って、私は自分ですごく変わったと思います。充実していた分、時がたつのがとても早く感じられましたが、たくさん笑い、たくさん泣き、私は自分でも1年前より随分成長したなぁ、と思います。アメリカに留学して、本当によかったです。これから、この貴重な経験を生かして、国際的に活躍できる人間になりたいです。

 最期に、私の留学を実現させてくださった江野前交換委員長、山崎委員長をはじめとする青少年交換員の皆様、ロータリークラブの方々、ほか関係者の皆様に心より感謝いたします。
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